左の部屋
英:The left room “Ocean”
その島には電車がなかったが、夜 寝ようと身体を横にすると、いつも遠い電車の声が聞こえた
太陽や時刻に関係なく、私は睡眠が近い時間のことを夜と呼んだ その声はいつもゆるやかで落ち着いた色だった 私は(そもそも、ここには電車が通っていないが)ここの電車を見たことがなかったが、その電車は灰色、まさに暖炉や焚き火の 木が灰になった色をしているところを見た 灰の色はやさしい色だった 灰は熱や炎で生み出され、それでいてそれらの生命力とはかけ離れているように見えて、灰そのものも火のような光になりえる 眩しさの無い光の宿り処
かたかたと軽いような静かな音が遠くに響くとき、私は赤い布団の中で瞼を下ろしている自分を入り口から見ていた 重いけれど痛みのない、あるいは痛みを薬で止めているような 液体と気体の中間のものが部屋には過剰に、余分に垂れていて、それが部屋の中を黒ずませた この部屋にいると空腹を感じない、食事の機能を体から取り払われたようになる
小さな窓からはほんのすこしの光がささやいた 白くて粉のようなつぶがちらちらと窓から部屋に入っては消えた
窓越しに外を見てもなにもみえない ここから電車をさがそうと幾度も思い立ったが実行に移したことは一度もない 見えないことがわかっていた
窓に身体を向けて寝たこともなかった
ここにいるかぎりは無事だ
り
孤独は感じなかった。実際今もみらいも過去も、私も誰も孤独ではなかった。
目を閉じたら空のことを思った。それは星の息づく真っ黒のものだったり、白くて細長い雲が行き交う水色の空だった。寒い皮膚の上から見える熱い血や、爪の奥の色、のしっかりしたピンク色の暮の空が眠る私たちの下から染みて空の床をつくった。
知らぬ間に遠くに行ってしまったあめ色のボタンを白い床の上で見つけるのは簡単だった。でもそのボタンは理由があって転がってきたと言っていた。私にはわからなかったが、それでもいいと思った。
この部屋の中で愛することも許すことも絶望することもとても簡単だった。なので自分の無力さを見た。私はそれらの水の中にいたけれど水と一体ではなかった。時間の配列の薄灰色の塔の中で自分が生まれたときから私は存在していなかった。薄灰色の塔は今でも列が増え続けているけど自分とそれはなんの関係もなく思えた。時間の塔はみんなでタピオカの列に並んでいるのだと思った。
私はぴかぴかの青く光るそれをひとに渡せなかった。
でも、嬉しいことも悲しいこともここにはひとつもなかった。無音の真っ白のシーソーの上にわたしは立っていて、その上をきまぐれにあははと行ったり来たりすることで自分をぐらぐら揺らした。
愛と抱擁と接吻によって弔いを見た。ぼんやりとしているけれど確かにそこにいる弔いは私から少し遠いところで一人で、タップダンスしていた。私はそれを見て不意に友達を見つけたときの楽しい気持ちになった。
手の中の真珠
英:Pearl in the hand
たくさん指間や指の曲線を抜け終えた真珠がばらばらと落ちていく
その動きは水そのもので にぶい銀色 落ちていくさまは綺麗だった
無意識に手のうちに残ったひとつぶふたつぶはわたしのものではない気がしたけれど放棄できるものではなかった
まぶしくない ぬるい けどそれは人をさめさせるようにもあたためるようにも感じた
それそのものによってここにいないだれかを変えてしまうことはどうしようもないことで避けたくもなかった
手ですくっても触れられるのに 自分がそれそのもので とどめたり抱き寄せたりできないこと やまない雨のなかにいたときのことを思い出す だんだんとしたたり落ちるそれに次第に身体のそれぞれが水の動きにならって沈んでいく ここにはいない喧騒もあたりで弾けるのが使命だと知っていたよう
此の髪はしらぬうちに長い髪になっていた
乳白色の海層と自分は一体化したりちぎれたりしてどこまでもどこまでも沈んだ
かたちを知っている足あと 足音
吸った息と吐いた息が消えそうに甘い
終わりのケーキ
英:final cake
シャボン玉の消えていく夜空
目を凝らしても暗闇の中の薄い膜を認識できないので、やめる
ぬるい風
の中で思い出す暑さ 汗をかく感覚
知っている彼女のしらない部分ってどこ
名前、性別、年齢、以外のものぜんぶ
しっているかのじょのほんとの名前?
ほんとの性別?ほんとの年齢?
あざやかな炭酸のはじける音をぐらすに耳を当てて聴いた
たしかに目にうつるのに消えていくもの
諦めた目で同じ机をみつめる
かげろうって語感だけなら水の色っぽい
それのしたたる音、かさなる音 つつむ音
すべての現象にいるなら、人間というもので例えるのも失礼なぐらいね
ただうまれてきえるものに人間よりよほど沿っている わずかな時のながれ
すいかの割れる瞬間不死鳥が死んでから生まれるまでのしゅんかん、目眩の灰色がきえない瞬間
モノクロでただうごいて、死をいとわずに落ち続けるもの
時間の犠牲者であり生まれ続ける雛 不老不死のあいどる
カラフルなベリー類 それいがいは真っ白のケーキとそのお皿 そのつくえ、そのクロス、その椅子、その部屋 まど、そら
ナイフもフォークもない(※通常、ケーキをたべる際、ナイフは不要の場合が多いがこの際は別)
ため、てづかみでたべる
われわれはケーキをたべるというのにケーキはわれわれをたべない悲しさ とまらない秒針への悲しさ
空虚そのものになるためのケーキよ、これは
時を止めるケーキよこれは きょうだけ特別よ
ケーキをたべているあいだが最後の瞬間のじんせい
甘みをとおくに感じる きみを