道の向こうの海に似た白い家㌢

瞬く視界のなかにはキラキララメのように紙吹雪みたいな光の泡が、私とは逆に空の方にあがっていった。

あたりは暗くて青い。上を見ると穴が空いたみたいな光があって、なんだか懐かしかったけどどうでもよかった。

 

私は悲しかったから、見慣れた家に知らない人がいても怖くなかった。怖かったけど、嫌じゃなかった。

もともと男っていうのがよくわからない、知らない気がしていたからその人が誰かっていうよりは、そっちのほうが重要な気がした。

でもドアの閉じた部屋は怖かった、暖かいようなドアノブを回したら昔から身近だった人がふわりふわりと部屋から出ていった 死のニュアンスで 蝶のように 逃亡した

そんなのを感じていた 多分 でも私は部屋にいた人が気になってたし、その人はそこに居たから ほこりっぽい色の服で、本人も埃っぽかった。

部屋の中はただつやめく自分の肉みたいにみなれて、でもそこに立っていた、まだ立っている人は知らないけど知ってる人で、ちいさな虫とかゴミが隙間に積もっている窓枠のほうからさす土臭い窓からの日光がすごく似合っていた。そういうところがとても好きだった。

悲しいともいえないたるい表情で、なにをするでもなくそこに存在させられたみたいな弱さで立っているその人は誰にも知られてなかった。

誰にも何も教えなかった。なにかあってもなにも言わなかった。

誰にも知らないから本当に何もなかった。

そんでその欠片はひらひら光って、どこに帰るのか本当にわからなかったけど、帰ろうとするので私は止めた。青い夜空なんて見たことないけど、青い夜空を思い出したから。

引き止めるけどその人は白くぼやけていくみたいでいぬのガムの牛皮がふやけたみたいにそれが自転車の通る白い道になったみたいになって、まぶしいような懐かしいようなつらいよな気持ちになった。

私は「身体の一部をくれよ」ってお願いした。そうしたらなんかが良い気がしたし、その時は。

雑草を抜くように簡単にはいかないけど、他人のパンをちぎるように許可の場所に立てた。

でも私の奥歯や胸は明滅して不安定な土や波みたいに盛り上がってくずれた。

 

そんな顔もしてないのに「優しい」顔のそのひとはいつまでも待つように退屈なチキンラーメンのようにそこに立ってたけど、わたしは最初からそのひとの人差し指を吸ってたし、それでなんの味もなくて、でも爪はかたくて皮膚はふにゃりとしていた

そんな行為にたいした重さもなく、でもそれ以上は無かったから、見慣れた陶器の花瓶みたいにひかるのにそれでもきれいだとおもえてしまう髪や目の色のほかにもつまさきやいろんな箇所を見たけど、どこにも触れられなかった。別れを告げられたわけでもなく、ただこいぬを撫でてその指をふわふわの毛から離すみたいに、食べる前のりんごを赤子みたいにふとんにねかせて愛撫してる時間みたいに自分から愛しさをもって離れていった。

 

からだの一部をくれよといったのは私だったけど、そうしたら寂しくなくなる、あまり会えないというか、いまはじめて目の前で見ているようなこのひとが永遠にいるんじゃないのって、そう思うのはみんなそうだと思うけど。

でもそんなひとの一部をもらったことなくて、それは想像の中の世界だったから、とてもおいしくて美しいけどとんでもなくちいさくて、すぐピンクの砂みたいにぱらぱらかけていった。

 

ほんとうは(やさしいか知らないけど)やさしいそのひとにナイフをいれられなかった。鶏のくびには生きたまま刃をいれるというのに。ほんでもって多数のちからによりそれを飲み込むまで至るというのに。任意の位置に立ったその人と私は状態としては解離したままふたりきりで、でもそのひとの前では私の場所の方が、その人の場所よりよほどわからなくて、…それが怖くも困ったわけでもなかったけど、ただそれに諭されて、なにも言えなかったんだな。

間にはなにもなかった。

しいていうならそんな部屋にさす日光を乳白色にすこしまぜた半透明な白が二人の手にかぶってた。

少しあまみのあるような錯覚も起こすけど、豆乳を水でうすめたような心地以外には、認識している目の前の人と、その人が認識している自分しか無かった。

 

 

小学生の時にとおった、いまも通るアスファルトの道を歩いてた。

目の前にいると思ったら消えたりして、何度も呼んだり探したりしたけど、結局は消えてなくて、まだそこにいた。はっきりした蜃気楼のように、それでも明確に、電球がひとつ切れたときのように、ぱちんと浮いているそのアタマの色が、その人をその人めかしていた。カレーにはカレールーが入っているように。

 

 

白くて足の裏にくっつくようなこまかい、温度のない白い砂浜に名前をかいていた。

海ではなく沼のようなところで、ほぼ何も見えないような厚い深緑をしていた。

砂にうかぶ記号の羅列は読めないものの、文字なことはたしかで、「なんて読むの?」と聞くとなんで知らないのかというように教えてくれる。

それを聞いたあとも、遠い世界の文字のことはわからなかったが、こちらでいう名無しの「ジャック」という音がはいっていた。私はそれを聞いて、どこかさわやかで優しい親近感みたいなものが沸いた。ジャックは誰であってもみんな同じで知らないと同時にみんなが知っているようなのだと思ったから。私が知っているもののように思えた。白桃の剝き方や、その味のように。

 

ある程度、といっても、なんの起伏もなく形容のない何もいえない空(他のたとえをするなら冷えすぎたバニラアイス)みたいに、お互いを知っていたから、私の名前も書いてほしいとお願いしてみた。ただただ好奇心だった。

ほんとは先に、私の知ってる文字で相手の名を書いてみたら喜ぶかと思っていたけど、求める方が先に出た。

そうしたら、シャンデリアが地味にほほえんでいるような、それでいて深紅の踏みならされた絨毯、普段の生活が想像できない、きちんとした黒いスーツに身を包んだ黒髪の白人の、お湯で薄めすぎたコーンスープにほのかに白い花の芳香が加わったような笑顔を浮かべる人が一人で、私たち家族のチェックアウトの対応をしていた。

朝食は取っていなかったけど、朝食バイキングがあるなら、きっと白身の固い目玉焼きや、オーツ麦の入ったグラノーラ、すべすべとしたウインナーや牛乳があり、高級感のあるのかないのかと思わせるような制服のスタッフが微妙な顔で朝の挨拶を、微笑みをかけてくれるようなホテルだった。

父親と母親がでかいトランクをはたに置いて、帽子とロングコート姿でそのカウンターに向かっていた。

私はチェックアウトに世界一関係が無かったので、まだその人と話していたし、その人はホテルのロビーの「書いていいのかわからない紙」にさらさら名前を書いてくれた。でもそれは私の知ってるカタカナで、「え、この文字なの?」と言うと、「そうだよ」と言い、「さっきのよくわかんないのは?」と、見様見真似でさきほど相手の書いたわからない文字を真似ると、お前はこれだと言われる。

 

 

チェックアウトの最中だったから、もうお別れだね、と振り返ったらいなかった。

でも私や姉がホテルで書いた日記のようなメモに一枚一枚なにか意味のあるのかないのかという文が書かれていて、あの人が書いたってことはよくわかった。

姉は書いてくれたんだカワイーと言っていた。

 

 

だからあれから月の三度欠けたこの青い夜にもそんな、そんなに着色料のはいったゼリーのように青く輝くこんな空を、海だとして泳いでいてもいい気がする。

止まったように動く空は見も、聞きも飽きたような特別で、青い夜は降りてはこれないけれど、熱い麻婆茄子のように美味しい。