左の部屋

英:The left room “Ocean”


その島には電車がなかったが、夜 寝ようと身体を横にすると、いつも遠い電車の声が聞こえた

太陽や時刻に関係なく、私は睡眠が近い時間のことを夜と呼んだ その声はいつもゆるやかで落ち着いた色だった 私は(そもそも、ここには電車が通っていないが)ここの電車を見たことがなかったが、その電車は灰色、まさに暖炉や焚き火の 木が灰になった色をしているところを見た 灰の色はやさしい色だった 灰は熱や炎で生み出され、それでいてそれらの生命力とはかけ離れているように見えて、灰そのものも火のような光になりえる 眩しさの無い光の宿り処

かたかたと軽いような静かな音が遠くに響くとき、私は赤い布団の中で瞼を下ろしている自分を入り口から見ていた 重いけれど痛みのない、あるいは痛みを薬で止めているような 液体と気体の中間のものが部屋には過剰に、余分に垂れていて、それが部屋の中を黒ずませた この部屋にいると空腹を感じない、食事の機能を体から取り払われたようになる

小さな窓からはほんのすこしの光がささやいた 白くて粉のようなつぶがちらちらと窓から部屋に入っては消えた

窓越しに外を見てもなにもみえない ここから電車をさがそうと幾度も思い立ったが実行に移したことは一度もない 見えないことがわかっていた

窓に身体を向けて寝たこともなかった

ここにいるかぎりは無事だ

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